戦災復興の為、時の国会で自転車競技法と言う法律が成立した
いわゆる戦災都市復興の財源総出のための法律である
その為
競輪を開催出来るのは戦災都市であることが原則で
但し書き条項の中に
もしくは都道府県に一ヶ所は開催しても良しとある
会津若松は戦災を受けていない
開催するには福島県営会津競輪場と言う名目で、主催者は県になってもらわなくてはならない
競輪場建設の費用及びその収益は県と市で折半
建設地に就いては会津若松市が提供すると言う作戦にて市の県庁通いが始まった
前代未開である県との契約は成立したが
次は建設場所の選定である
平地に建設すれば莫大な建設費が必要となる
税外収入を求めるために考えた競輪が、その建設のための費用が莫大ではなんにもならない
そこで、戦前お城の本丸で自転車競争が開催されていたことがヒントとなり
国の文化財保護委員会に再三、再四陳情を行い
復元することを条件に本丸内に穴を掘り、330mの競輪場建設にこぎつけた
1950(昭25)年:福島県営会津競輪が開催される
1958(昭33)年:収益にて競輪場を若松城敷地内から500m離れた場外に移転し再開する
しかし一部の住民のギャンブル反対の声に市政は廃止という答えを出し
1963(昭38)年:会津競輪は閉場に至る
福島県会津若松市城東町
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